Naitter【泣いた】

スパイ呼ばわりされた過去…派手な外見とは裏腹なたいめいけん茂出木シェフの半生

スパイ呼ばわりされた過去…派手な外見とは裏腹なたいめいけん茂出木シェフの半生

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人を見かけで判断してはいけないと言いますが、見た目とその人間性にギャップのある人は一定数いらっしゃいます。

そして、家業などの継承者である場合は、先代と当代が比較されることもあるでしょう。

今回は、あの老舗洋食店「たいめいけん」の三代目である茂出木浩司さんを紹介したいと思います。

茂出木さんと言えば…

出典 http://www.taimeiken.co.jp

「マックスキャッホー」という自身による造語が広く知られていますよね。

バラエティ番組などに登場することも多く、俗っぽい言い方になってしまいますが“チャラい”側面がクローズアップされがちです。

特に、その肌の黒さも話題の1つ…。

黒い…

出典 http://ameblo.jp

お弟子さんが色白に見えます。

黒い…

出典 http://www.taimeiken.co.jp

川越シェフなど、新進気鋭の料理家の皆さんと映っても…やっぱり群を抜いて黒い。

真っ黒!

出典 http://fcs2.sp2.fujitv.co.jp

これは…!

ちなみにこの写真は、歌手の松崎しげるさん主催の「黒フェス」での一枚。茂出木さんは松崎さんのことを「日焼けの神」と崇めており、週に2回の日焼けサロン通いでこの黒さは保たれています。

そんな茂出木さんがどうして料理人の道を志したのか…そこには単に老舗の家に生まれたからという単純な理由ではない、家族の絆とご自身の覚悟がありました。

「家業がコンプレックスだった」

出典 http://www.bizcompass.jp

「たいめいけん」は、元々茂出木さんの祖父・心護さんが創業した洋食店です。著名人の顧客も多く、名店として知られるも孫息子の茂出木さんは、家業をコンプレックスに感じていました。

私が小学生の頃は、商社マンのような会社勤めのお父さんが偉い、みたいな風潮があり、料理人はあまりいい職業とは思われていませんでした。

祖父や父はときどきテレビにも出る有名な料理人でしたけれど、友達からは「お前んち、食べ物屋なのか」と、半ば下に見られるように言われていましたね。

出典 http://chefgohan.gnavi.co.jp/pickups/29

今では考えられないことですが、当時は職業差別があったようです…。そのため茂出木さんは、「料理人にはなるまい」と思っていました。

とは言え、当時の茂出木家は家族全員が店舗で働いていたため、唯一出入りを許されていた厨房で自ら食べたいものを見よう見まねで作っていたそうです。決して料理と無縁の生活をしていたわけではありませんでした。

やがて創業者である祖父・心護さんが亡くなり、父・雅章さんが二代目としてたいめいけんを継ぎましたが、茂出木さんは変わらず料理人を志そうとは思わなかったのです。

それどころか、自宅に帰らずにお店の寮に寝泊りするようになりました。どうしても親御さんと同じ道に進みたくない、と思ったからです。

その気持ちは高校を卒業する頃になっても変わらず、とにかく「アメリカで生活したい」と考えていた茂出木さんは、単身渡米。しかし、語学学校の段階で挫折し帰国。ついに料理人を志すことにしました。

あれだけ嫌がっていた料理人になる決意をしたのは、創業者であり祖父でもある心護さんからの手紙だったそうです。

「お前は『たいめいけん』の3代目だ」

出典 http://www.taimeiken.co.jp

私が小学校5年生の時祖父が亡くなりましたが、形見分けでもらった祖父の本の中に「お前は『たいめいけん』の三代目だ。一生懸命頑張りなさい」という内容の手紙があったんですよね。その祖父の遺言が、いちばん背中を押してくれたと思います。

出典 http://chefgohan.gnavi.co.jp/pickups/29

手紙単体で渡されたのではなく、本の中に忍ばせてあったというのが何とも言えませんね。

もし茂出木さんが発見しなかったらと思うと、この手紙を見つけたことは奇跡と言えるのではないでしょうか。

以後、辛い時を支えたのが「頑張りなさい」の文字だったそうです。

この手紙に背中を押され、料理人としてのキャリアを歩み始めた茂出木さんでしたが、修行時代には業界独特のしがらみに悩んだ日もあったと言っています。

「どうせ辞めるのに教えてやるか」と言われた

出典 http://www.nihonbashi-yukari.com

当初、茂出木さんは実家の「たいめいけん」ではなく、他所の店で修行しようと考えていました。しかし、老舗の跡取り息子ということは、いずれは実家で働く身…「どうせ辞める人間は採用したくない」というのが、当時の風潮だったそうです。

結局外部での修行は長続きせず、たいめいけんで修行することになりました。しかし、ここでも茂出木さんへの当たりは強く…

戻ってきたのは24歳の時だったのですが、店では鍋や皿洗いからスタートしました。

でも、どうせ親のスパイだからお前が入ったら辞める、などと現場のスタッフに言われたりしましたね。

出典 http://home.tokyo-gas.co.jp/shoku/special/25_01.html

スパイ呼ばわりされるのは、流石に気の毒です…。

それでも茂出木さんは地道に修行を続け、古くから働く従業員の方に認めてもらえたのは40歳を過ぎてからだったとのこと。たとえ跡継ぎ息子であろうとも、実力が全てというのが料理の世界なのです。

一見派手に見えるようでも、裏では地道な努力をしている茂出木さん。元々老舗であることから知名度はありましたが、若い人達にもその名前が認知されるようになったのは、明らかに茂出木さんのメディア露出と、独自の経営や積極的なコラボレーション企画への参加にあります。

先代とは違った攻めの姿勢について、茂出木さんは次のように話していました。

「新しいことができるのは、お店のおかげ」

出典 http://www.nihonbashi-tokyo.jp

『たいめいけん』の洋食は昔からのものなので、昔の味を守っているとしか言いようがないんですよね。

新しいことにチャレンジして欲しいと言われても、してないというか精いっぱいやっているだけ。攻めてないんです、攻めているフリだけ(笑)。

まぁ、新しいことができるのもこの店があるから可能なことです。

出典 http://chefgohan.gnavi.co.jp/pickups/29

新しい分野への挑戦は、「たいめいけん」の看板ありきのこと。だからこそ受け継がれた味は、ずっと大切にしたいというのが茂出木さんの考えでした。

老舗が新しいことに挑戦すると、時に批判の声が上がることもありますが、ご本人はもはや気にしていないとも話していました。

「家業を継ぎたくない」と思った少年を「お店を守りたい」経営者に変えたのは、創業者でした。

容貌ばかりが話題になりがちですが、本業の手は抜かない茂出木さんの活躍にこれからも期待したいと思います。