Naitter【泣いた】

逮捕されても薬物がやめられない人とやめられる人がいる理由とは

逮捕されても薬物がやめられない人とやめられる人がいる理由とは

逮捕されても薬物がやめられない人とやめられる人がいる理由とは


元プロ野球選手・清原和博被告の逮捕が世間を賑わせて以降、人気バンド「C‐C‐B」の元メンバー田口智治や、NHK『おかあさんといっしょ』に出演していた「歌のお兄さん」杉田光央など、覚せい剤取締法違反で逮捕される芸能人が後を絶たない。

警察庁刑事局組織犯罪対策部が公表したデータによると、平成26年の覚せい剤事犯、大麻事犯、麻薬・向精神薬事犯、あへん事犯などをすべて含めた「薬物事犯」の検挙件数は1万8,378人。

なかでも、覚せい剤の再犯者数は増加傾向で推移しており、依存性の高さがうかがえる。

しかし、薬物を断ち切ることができない人がいる反面、依存状態にまで陥らない人や、すぐにやめることができる人もいる。その差は何によって生まれるのだろうか?

そして、薬物依存者を身内や友人に持つ人は、どのように支えればよいのだろう。

書籍『よくわかるSMARPP―あなたにもできる薬物依存者支援』(金剛出版)の著者であり、薬物依存症研究の第一人者である国立精神・神経医療研究センターの精神科医・松本俊彦氏に話を聞いた。

■薬物に依存する人は、使う前から“困った問題”を抱えている

――薬物に依存して乱用してしまう人と、薬物を経験してもそこまでハマらない人というのは、どのような違いがあるのでしょうか?

松本俊彦氏(以下、松本)世の中にはクスリを使ってもハマることもなければ、ばれることもなく、「たまに使うくらい」という人もいます。

そうした人の中には責任ある立場に就き、社会的に活躍している人も珍しくはありません。アルコール依存症で考えていただくとわかりやすいと思いますが、お酒を飲む人はたくさんいても、依存症になる人はごく一部です。

これと似たようなことは、覚せい剤にもある程度見られます。もちろん、覚せい剤の依存性はアルコールとは比較にならないほど強く、使用経験者の中で依存症の状態になる人の比率は、アルコールの場合よりもはるかに高いとは思います。

しかし、それでも経験者全員が覚せい剤にハマるわけではないのも事実です。

例えば、「今後こそやめる」と決意しては再び覚せい剤に手を出してしまい、逮捕・服役を繰り返している人、あるいは、「自力ではやめられない」と思い知り、専門病院での治療を求めて来院する人というのは、

覚せい剤経験者全体から見ると、ほんの一部にすぎません。

では、ハマる人とは、どのような人なのか?

患者さんの話を聞くと、「最初は仲間でやっていて、周りはクスリを卒業していくのに、自分だけやめられなくなっていた」という人が少なくありません。

その人たちに共通しているのは、クスリを使う前から“困った問題“を抱えているという点です。その“困った問題”にはさまざまなパターンがあります。

たとえば、家庭環境の複雑さ、両親の不仲、虐待、学校でのいじめというような経験をもとにした、心の闇を抱えていることもあります。

このように普段から何らかの「しんどさ」を抱えている人の場合、覚せい剤を使って得られる“報酬効果”は、そうでない人よりもはるかに大きいものとして体験される傾向があり、それだけに依存症になりやすいのです。

――「報酬効果」とは、具体的にどのようなものでしょうか?

松本 例えば、勉強をすごく頑張って成績が上がり、褒められると、ますます頑張ろうと思いますよね。

褒められたときというのは、ドーパミンが出ているんですが、そのときに感じた感覚が一種の「報酬」となって、「また褒められたい」と、人を突き動かし、支え、将来の職業選択などにも影響を与えることがあります。

つまり、しんどいことがあっても、頑張ればあの気持ちいい体験ができると思って努力し、それがキャリア形成にもつながっていくわけです。

覚せい剤の報酬効果とは、例えるならば、「頑張って成果を出して、周囲から認められる」という感覚を、一切の努力や頑張りなしに(ついでに、何らかの成果を出さずとも)体験するような感覚です。

その感覚は、必ずしも、しばしばいわれているような、めくるめく快感とまではいかないかもしれませんが、われわれの行動を決定づけ、人生を牽引していくような、本能に根差した感覚ではあるのです。

したがって、勉強で褒められて気持ちよかった人が勉強を頑張り、運動で褒められて気持ちよかった人は運動を頑張るのと同じように、「クスリを使う」という行動を繰り返すことになるのです。

そして、すでに述べたように、それまでの人生がつらかった人ほど、この感覚にのめり込みやすいという特徴があります。

――どのようなときに、クスリを使いたくなるものなのでしょうか?

松本 どのような状況でクスリを使っていたかによって、クスリを使いたくなる状況は異なります。

たとえばセックスのとき、あるいは、ひとりぼっちで退屈だったり、寂しかったりするときにクスリを使っていた人は、性的な欲求、あるいは退屈感や寂しさを自覚した際に欲求に襲われます。

もっとも、覚せい剤=セックス・ドラッグみたいな使い方をしている人は、意外にも薬物依存症患者のごく一部です。

実際の患者で多いのは、しんどい仕事をしなければならないときです。覚せい剤はバシッと力がみなぎり、目がさえます。

ですから、アルコールとは異なり、平日昼間も使えて仕事もできますし、車の運転などへの影響も比較的少ないのです。それだけに日常生活に深く根を下ろし、その人の行動を支配していきます。

おそらく多くの場合、使い始めの頃は、一時的に仕事のパフォーマンスも上がります。人によっては、クスリの力を借りて、仕事上の実績を上げる人だっているほどです。

しかし、その状態は、そう長くは続きません。そのようにしてクスリを使うのが習慣化すると、例えば、朝起きて昨日の疲れがまだ残っていて、「今日は仕事に行くのがちょっとつらいな」思ったときに、覚せい剤の欲求に襲われることになります。

クスリの力を借りて仕事や人間関係で成功した体験のある人ほど、クスリを手放すのは大変です。

最初のうちは、覚せい剤の効果で眠気が吹き飛んで、深夜でも仕事をひたすら頑張れるかもしれません。ある意味、疲れ切ったサラリーマンたちが栄養ドリンクを飲むというのに、どこか似ています。

しかし、そのような効果は一時的です。しばらくすると、クスリを使っても、かつてと同じ程度のパフォーマンスしか発揮できなくなり、さらに時間が経過すると、仕事前にクスリを使ってももはや気力が湧いてこなくなり、

そのうえ、覚せい剤乱用の後遺症で、人の目が気になって仕方なくなり、外出するのが怖くなります。最終的には家にこもりきりとなって覚せい剤使用に溺れ、仕事どころではなくなってしまいます。

■罪悪感が、また余計にクスリに走らせる

――自分を奮い立たせる栄養剤のような感覚で使用し、だんだんとハマっていくということですね。依存が進行すると、どのような状態になってしまうのでしょうか?

松本 最初のうちはクスリによってパフォーマンスが上がるのですが、摂取をやめると電池が切れたようにぐったりし、なんともいえない気だるさと虚脱感に襲われてしまいます。そのため、摂取し続けることでパフォーマンスを保とうとするのです。

しかし、継続してクスリを使用することで耐性ができるので、量を増やさなければいけなくなる。

しかし、本人は、「クスリを使って、自分の生活をうまくコントロールしている」と思っているんです。自分のパフォーマンスを調整しているつもりでいるのですが、依存性薬物というのは必ず立場が逆転して、クスリにコントロールされてしまいます。

そのうち、なんとか自分を保たせるために、「ちょっと仕事を中抜けして摂取しよう」とか、「クスリを入手する金がなくなっちゃったから、親に借りよう」というように、クスリを使っていることを隠しながら、嘘をつくようになるんです。

昔はおとなしかったような人でも、口から先に生まれてきたような感じになって、皆を必死で騙すようになる。とにかく、自分にとって大事なもののランキングの順番が変わってくるわけです。

――クスリが優先順位の1位になってしまうと。

松本 その通りです。「自分にとって大事なものは何か、大事な順に挙げてみよ」と問われれば、順番はさておき、多くの人が家族や恋人、友人、あるいは仕事、財産、健康、将来の夢といったものを挙げるでしょう。

ところがクスリにハマっていく中で、そうしたものの順番が全て入れ替わり、一番大事なものがクスリになってきます。

恋人や友人の選択基準も、クスリを使うことを許容してくれる人に変わったり、仕事もクスリを手に入れるためのお金が瞬時に入る楽な仕事を選んだりするようになります。財産や健康よりも、クスリを優先するようにもなります。

当然、付き合う人の顔ぶれも、以前とはがらりと変わります。その結果、かつてを知る人から見れば、ほとんど別人になってしまったように感じられることでしょう。

もちろん、ときどきは「こんなことでいいのかな」と罪悪感を抱きますが、その罪悪感がまた余計にクスリに走らせてしまうわけです。

薬物依存症になってしまうと、「惨めさ」や「情けなさ」という感覚を得た瞬間に、もうしらふではいられなくなってしまうんです。

――それは、物理的な作用によってクスリを使わずにはいられなくなるというより、「自尊心の低さ」が根っこにあることが問題ということなのでしょうか?

松本 そうですね。例えば、幼い頃に暴力や性的虐待を受けると、だんだんと自尊心が低くなってしまい「死にたい」とか「消えたい」という気持ちを常に抱えることになります。

そういう感情を持つ人がクスリを使うと、その感情が消えて、普通の人みたいに生きていける瞬間があるんです。これが報酬となります。

決して快感ではないですが、これまでずっと抱えていた苦痛を一時的に消してくれるという意味で、十分な報酬効果があります。

こうした、ある意味特殊な成育歴を持った人だけではなく、「親からの期待に応えなきゃ」と表向きはいい子でやってきたけれど、その中で自分の本当の気持ちを抑えつけてきた人も、

クスリを使ってみると気持ちが楽になり、初めて素の自分になった感じがすることもあります。これは、周囲からはうかがい知れないことですね。

■薬物依存症患者に必要なのは、家族の協力と専門家のサポート

――そうなると、もはや本人の力だけではクスリから逃れられない気がするのですが、周りにいる家族や友人ができるサポートというのはないのでしょうか?

松本 そもそも、日本ではたとえば覚せい剤使用は犯罪なので、周囲に助けを求めにくいという状況もあるのですが、それでも薬物依存症からの回復には、家族の役割はとても重要だと思います。

というのも、薬物依存症というのは、本人が悩むより先に周囲の人間が悩む病気だからです。

家族はクスリをやめてほしいと本人を説得したり、叱責したり、なだめたり、恫喝したりしますが、肝心の本人は「俺は依存症なんかじゃない。その気になれば、いつでもやめられる」と治療を受けようとしません。

このような状況の中で、家族の悩みは本当に深刻です。

早くどうにかしなければいけないと焦りますし、親であれば「自分の育て方が悪かったんじゃないか」とか、妻であれば「自分が至らなかったからじゃないか」と、どうしても自分を責めるんですね。

そして、誰にも相談できないままで、秘密にしているうちに、状況はどんどん悪くなります。

そこで家族にお伝えしたいのは、全国の都道府県・政令指定都市に少なくとも1カ所は設置されている「精神保健福祉センター」という行政機関があるということです。

ここには依存症をはじめとしたメンタルヘルス問題に詳しい医師や保健師、心理士がいて、薬物依存症患者の家族の相談を受け付けています。もちろん、秘密もきちんと守ってくれます。

――また、薬物依存症患者への接し方で、気を付けた方がいいことはありますか?

松本 クスリはいわば“悪い恋人”のようなものです。どんなに周囲から「あいつは悪い奴だから別れなよ」と言われても、「自分はこの人が好きなのに、なんで理解してもらえないの?」と余計に壁ができますよね。

あるいは、よりのめり込むことのきっかけにもなり得ます。薬物依存症もそうです。説教や叱責は効果がありません。それに、薬物依存症に陥っている人は、もうすでに自尊心がボロボロなんですね。

すでに、「自分は本当にどうしようもない」とか「ダメ人間」だと思っているので、責められれば責められるほど自暴自棄になって、クスリにのめり込む場合もあります。それくらいであれば、無関心な方がいい場合さえあります。

ただ、無関心といっても、決して「無視しろ」「放置しろ」という意味ではありません。おそらく本人に最も強い影響力を持っているのは家族です。

したがって、家族の振る舞い次第で、本人の行動を変化させられる可能性はあります。

例えば、本人がクスリを使っているなと思うときは、ちょっとその場を離れて、使っていない日に「今日のあなた、いい感じだね」とか「素敵だね」と声を掛けてあげるといった対応も考えられます。

これは、クスリを使わないことが家族との結びつきを確認できる状況とし、使っている場合には家族との溝を感じる状況にするわけです。ここで注意すべきなのは、愛情の反対は憎悪でなく無関心であるということです。

説教や叱責は、かえって家族とのつながりを感じさせる対応なのです。とはいえ、こうした対応の工夫だけでは、なかなか本人は治療につながりません。また、薬物依存症患者の特徴もそれぞれなので、家族や友人の力だけでは限界があります。

薬物依存症の治療は、まずは家族の相談から始まります。しかし、家族だけで対応の方法を判断しようとせずに、専門家のアドバイスをもとに対処策を考えていただきたいと思います。

松本俊彦(まつもと・としひこ)

国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。

1993年佐賀医科大学医学部卒業後、国立横浜病院精神科、神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。

日本アルコール・アディクション医学会理事、日本精神科救急学会理事、日本社会精神医学会理事。