■以前から芸能界でよく見かける「事務所移籍問題」
年始から大きくメディアを騒がせた、「SMAP」の独立問題。最近では、能年玲奈さんの事務所独立に関しても話題になっています。
芸能界において度々問題になる「事務所独立」に関する話題。当然、双方に主張はあり、どちらかが100%正しいというものでは無いと思いますので突っ込んだ話は出来ません。
ただ、傍観者である私達の認識として、当然のように語られているものがあるという事にお気づきでしょうか。それは
事務所を円満に独立出来なかった芸能人は「干される」
という共通認識。このよくよく考えればおかしな認識に対して警笛を鳴らす、あるツイートが話題になっています。
■そのツイートがこちら

投稿されたのはTwitterユーザーの「SAI(OSAKA)」さん。ツイート自体は今年1月に投稿されたものですが、能年さんの問題が話題になった今、改めて注目されています。
その内容というのがこちらです。
いま、恐ろしいのはSMAPにしても、能年玲奈ちゃんにしても、「事務所に逆らったら干されるのは当然」なんて若い子が平気で言ってる。世の中で罰を受ける人は「悪いことをしたひと」で「えらい人に逆らった人」じゃない。現実はそうじゃなくても肯定してはいけない。
— SAI(OSAKA) (@SAI2001) January 18, 2016
世の中で罰を受ける人は「悪いことをしたひと」で「えらい人に逆らった人」じゃない。
若い人たちが「事務所に逆らったら当然」と平気で言っている現状に警笛をならすこの言葉。確かに、「芸能界ではそれが当たり前」という様な認識がごく自然に浸透してしまっている現実があります。
■このツイートに対する反響
そのとおりだよ…
たとえ、偉い人が悪いことをしても、それが正しい事になる…これを正しいと思えるかが重要だよね https://t.co/yDy403v0ei
— はまうてな@そうだ九州に行こう! (@hamautena) May 28, 2016
社会に生きることの難しさですよね。
@SAI2001 @takeda828 職場の若い人たちをみていると「えらい人に逆らう」=「悪いこと」と思っているふしがちょくちょく見受けられます。
— ハガキ勝手連 (@hagakikatteren) May 28, 2016
私もそうですが、事なかれ主義にありがちな考え方です。
世の中狂ってる
ほんとうだなぁ。世の中狂ってるよ。 https://t.co/xJ6vR5lMNJ
— マチダッペ/Gema (@machidappee) May 28, 2016
あまり違和感をおぼえなくなっているのは確かに歪んでいる状況かも。
確かに浸透している
これ,結構広まってるな https://t.co/NuSQMcRijV
— うにちゃん(仮) (@Unichan_07) May 28, 2016
「まあ、仕方ないよね」と考える人が多いのでは?
どの世界でも言える話
でもこれ個人的には昔っから連綿と続く納得いかない話なんだよなー。政党内で方針に逆らったりスポーツチームで監督に逆らったりしたら無条件で背信行為扱いとかバカじゃねぇのかと。組織より個人の意見の方が正しい事なんていくらでもあるだろうがと https://t.co/5VXGClEGnu
— ヤマアラシ (@argame) May 28, 2016
組織と個人。立場が違うのでなんともいえませんが、確かに個人が正しいケースは大いにありますよね。
■こういった論調が当然となる事を問題視する方も
むしろこういう現実を無視した潔癖性が怖い。どの時代、どの世界においても、郷に入って郷に従えない人間は浮くし、ペナルティーを科せられる事もある。仮に外部から酷く歪に見えたとしても、正義や悪は立場の違いでどうとでも変わる。現実は風条理。 https://t.co/n1NCeQc1bw
— 走る本の虫 モフルンver. (@soraya1023) May 28, 2016
確かに、あまりにも現実を見据えない偏った考え方が蔓延するのも怖いですね。現実は不条理。SAI(OSAKA)さんもツイートの最後に「現実はそうじゃなくても肯定してはいけない。」と書かれています。
■「長いものには巻かれろ」

出典 http://ameblo.jp
自分の手に負えないほど長いものには、逆っても無駄だからおとなしく従ってしまったほうがいいということ。「長い物には巻かれよ」ともいう。
出典 http://kotowaza-allguide.com
昔からあることわざ。まさに権力者(偉い人)には逆らわない方がいいという教えです。若い人に限らず、上手に生きる術として語られ続ける教えです。
現実では個人と組織のあり方で「すべてが自由」というわけにはいかない事も多いにあると思います。ただ、何の疑問も感じず「そういうもの」とするのは、考える事を放棄した行為でしょう。
現実には受け入れなければならないとしても、こういった形で常に議論を繰り返していく事が大切なのかもしれません。